人に歴史あり②

こんにちは!横浜本牧パーソナルトレーナー宮原崇です。

今朝は涼しくて気持ちが良いですね。

さて、先週の続きです。

僕の自伝は本で出版されることは、現時点でイメージできないので、自分で書いてしまおうという企画です(笑)

台湾まで小学校2年生いたのですが、自分で言うのも恥ずかしいですが勉強はかなり出来ました。常にクラスは上位3位以内と賞状も沢山いただきました。多分この賞状を集めるのが、自分の中で楽しかったのだと思います。脳の報酬系の回路が活性されていたのでしょう。

孫文やエジソンの本が大好きで、寝る前はいつも宇宙船に乗ることを妄想しながらワクワクしていたのを覚えています。台湾では南投県水里郷玉峰村という場所にいたのですが、日本人が僕しかいなかったということもあり、本当によくお世話してくれました。

日本に帰国してお米の美味しさに感動して、そのおかげで体もぐんぐんと成長しました。

一方で、日本の学校に転校して言葉の問題とカルチャーショックなどで、勉強は一気に付いていけなくなり、毎日学校に行くのが苦痛となり更にイジメにあい、自宅に帰り毎日泣いていた記憶があります。

しかし、小学校3年生の宮原崇はこの逆境に負けなかったのです(笑)

よく見ていた空手の漫画に憧れて、母に空手の道場に通わせて欲しいとお願いして、空手を始めることになったのです。毎週水曜日に本郷町からバスに乗り、関内にあるYMCAの空手道場に通い、1年後の横浜市大会の組手で2位になり、気持ちも明らかに強くなっていきました。

小学校4年生の時に小林くんという同級生が柏葉ジャガーズという少年野球チームに誘ってくれたのもこの時期でした。

この空手と野球との出会いにより、僕の人生は人に支配されるのではなく、自分で切り開いていくというものに変わりました。

先ず、当時の戦略としてイジメっ子を全員打ちのめすという、真っ向勝負でその環境から脱するということでした。そんなことを一人一人していたら、5年生になると番長と呼ばれるようになっていて、そこから勢いが止まらず、自分を守るという心理からだと思うのですが、剃り込みを入れちゃうわけです(笑)

6年生では172cm75kgと大きな小学生に大変身。

立派なガキ大将の出来上がりです。

本日は以上です。

貴重なお時間を誠にありがとうございました。

パーソナルトレーニングに関するお問い合わせはmiyahara8145@me.comまでお願いいたします。

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